木曽路はすべて山の中〜山を守り 山に生きる〜

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檜の森と神の滝をめぐる

このモデルコースを教えてくれた人
伝田克彦さんが紹介します
編集者。長野県で生まれ育ち、45年あまりの東京暮らしの後、伊那市に移住。
山を愛し、国内外の登山歴は50年以上

檜の森と神の滝をめぐる

長野県の南西部、塩尻市の一部から岐阜県の中津川市にかけての一帯が「木曽」と呼ばれるエリアで、その総面積は香川県とほぼ同じ1,836?に及ぶ。西を御嶽山、東を木曽山脈(中央アルプス)に挟まれて流れる木曽川、奈良井川の谷沿いの場所を中心に、香川県の人口100万人弱(平成30年1月)の4%にも満たない4万人弱の人々が住む。島崎藤村が長編小説「夜明け前」の冒頭に「木曾路はすべて山の中である」と書いたように、総面積の9割を森林が占め、人々の多くはその森林と関わって暮らしてきた。
御嶽山は9世紀に開山されたといわれ、江戸時代には一般民衆も登拝できるようになって全国から多くの信者を集めた霊峰であり、裾野には檜の山林が広がる。その裾を流れる木曽川は奇岩の渓谷をなし、それに沿って古くは中山道、今は国道19号とJR中央本線が通る。今回の旅は、霊峰御嶽とその周辺で培われた文化を体験するコースを回る。

“発祥の地”で蕎麦を食べる

その木曽が近くなった。かつて、東京から木曽に入るには塩尻からトラックなどで混み合う国道19号を行かなければならなかった。それが、中央アルプスを貫通する権兵衛トンネルの開通によって、伊那ICを経由して、3時間半ほどで行くことができるようになったのだ。朝8時に東京を出ても、昼前には木曽に入ることができる。木曽谷に入り、国道19号を少し南下すれば、中山道「木曽11宿」の中心地であり、「入鉄砲、出女」を改める日本4大関所のひとつ、福島関所があった木曽福島だ。
木曽での昼食は蕎麦としよう。蕎麦は、室町時代から御嶽山の修験者が携帯し、木曽谷から全国に広まったともいわれ、木曽町、特に開田高原はそばの特産地として知られる。また、蕎麦切りは木曽谷が発祥といわれるだけに、木曽には多くの蕎麦屋があり、それぞれが打ち方や提供の仕方に工夫をみせているので、自分好みの店に出会えるかもしれない。

霊神碑群に御嶽信仰の深さと広がりを実感する

少年のころから岩登りを中心とした山登りを続けてきた私にとって、たおやかな山容をもつ御嶽山は長い間“眺める山”であった。御嶽山は中央アルプスからはもちろん、南アルプスや北アルプスからも、大きく、端正で、どこか神々しさを感じさせる姿を望むことができる。その山が、全国から多くの信者が訪れる信仰の山であったことを実感したのは、初めて訪れた御嶽山の登山口に車を走らせていて、その沿道におびただしい数の霊神碑(れいじんひ)群を見たときである。全国各地に「講社」と呼ばれる御嶽信仰の団体があり、随所に、講社が建てた立派な霊神場もある。
霊神碑は、聖なる御嶽から生を受けたわが霊が、死後は再び御嶽の神のもとに還ることを願って建てられる。碑には、「三十三回登山記念」などと登山の回数が書かれたものが多く、なかには六十回などというものもある。およそ碑を建てることができそうな場所には全てというほどに建ち並ぶ大小の霊神碑は、その数2万基を超えるといわれる。碑からは、御嶽山を聖なる山として信仰し、この道をたどってその懐に抱かれることを願った多くの人々の魂が迫ってくるようだ。

御嶽神社里宮から、水行の滝を訪ねる

木曽福島から国道19号を少し南に行き、元橋を渡って王滝村に向かう。愛知用水の水源となっている牧尾ダム(御岳湖)沿いに走ると、やがて、観光案内所のある王滝村の中心部に出る。ここからさらに5分ほど山に向かったところに御嶽神社里宮がある(もうひとつの里宮が、黒沢口の三岳にもある)。
道路脇の鳥居から石段を70段ほど登ったところに二番目の鳥居と社務所があり、そこからさらに鬱蒼と茂るヒノキとサワラの樹林の中に続く371段の石段を登ると社殿がある。この社は、古くは岩戸権現といわれて室町時代後期から信仰を集め、さらに江戸時代には御嶽山頂に祀られた御嶽座王大権現の里社として全国にその信仰が広まった。社殿は、高さ50mはあるだろうか、独特な横縞のある巨大な岸壁を背にして建てられており、小さいが、いかにもここが神の棲み給う場所に通じていることを思わせる。
里宮からさらに山に向かって上っていくと清滝が、そして、すぐ先に新滝がある。ふたつの滝は御嶽の修験者が水行をおこなう滝。江戸時代、水行だけの軽精進でも御嶽登拝ができるようになり、庶民の信仰を集め木曽谷を訪れる人を増加させた。また、新滝は滝の裏に小さな岩祠があり、滝を裏側から見ることができるので裏見滝とも呼ばれる。どちらの滝も都会から来た人にとってはマイナスイオン溢れる癒しの場所になりそう。現在でも修験者が水行をおこなっており、タイミングがあえば実際の行を見ることもできるかもしれない。マナーを守って見学を。
この日は、修験者をもてなしてきた王滝村の宿に泊まることにしよう。夏の王滝村は全国からスポーツの合宿や、御嶽登山の人でにぎわう。カヌーやMTBなど、多彩なアウトドアのイベントも行われているので、興味のある方は問い合わせてみよう。

百草元祖の碑

2日目は、日本における森林浴発祥の地とされ、森林の中を縫って走る森林鉄道のトロッコ列車に乗れることで人気の赤沢自然休養林をたずねることにしよう。
王滝から元橋に戻る途中、牧尾ダム(御岳湖)から少し下ったところに日野百草本舗王滝店、そこからさらに少し下ったところに長野県製薬の本社工場があり、その敷地内に「百草元祖の碑」がある。
「百草(ひゃくそう)」は、御嶽信仰の信者たちによって木曽から全国に広まった生薬製剤の和漢胃腸薬である。江戸時代後期に三岳黒沢口を開いた尾張の覚明行者と王滝口を開いた武蔵の国の普寛行者が御嶽大神の教えによって創製し、後に山麓の人々に伝授したものといわれる。これが御嶽山に登拝した人々によって御神薬として全国に広められた。
子どものころ私が“飲まされた”のは竹の皮に包まれた板状の黒く苦い「百草」だったが、今は糖衣錠の「百草丸」や顆粒に姿を変え、さらにハンドクリームや入浴剤も作られている。工場見学もでき、製造工程が見学できるほか、さまざまな生薬や薬草の標本も展示されていて興味深い。

赤沢自然休養林

元橋で木曽川を渡ったら、国道19号を右折して上松町に向かい、再び木曽川を渡って赤沢自然休養林に向かう。元橋のすぐ先には「道の駅木曽福島」がある。意外に思えるが、深い谷間を走る国道19号(JR中央線も)からは、この周辺からしか御嶽山の山頂を望むことはできない。
上松から山の中の道を走ること約30分で赤沢自然休養林に着く。樹齢300年以上という天然の木曽ヒノキが林立し、日本三大美林のひとつに数えられている林だが、これは「原生林」ではない。1600年代半ば、築城や城下町の造営のために木曽ヒノキが乱伐されて危機に瀕した林を守るため、尾張藩が「ヒノキ1本、首ひとつ」ともいわれる厳しい森林保護政策を課して守り始めたことに始まる。今、伊勢神宮の式年造営に用いられる用材の多くがこの周辺から伐出されている。
休養林内には行程40分から2時間ほどの8つの散策コースが設けられており、オオヤマレンゲやササユリをはじめとするさまざまな花や鳥のさえずり、ゆるやかに流れる赤沢川の清流などを楽しむことができる。

木曽森林鉄道

赤沢自然休養林のもうひとつの目玉は森林鉄道のトロッコ列車だ。まずは、休養林内の往復2.2kmのコースを走る列車に乗って、短い美林の旅を楽しもう。
かつて、山奥で伐採された木材は川に流して運び、さらに筏に組んで木曽川の下流まで運んでいた。急流を流す木材や筏を操るいかだ師は“なかのりさん”とたたえられ、木曽節にもうたわれている。大正初期、その運搬を近代化したのが森林鉄道である。上松から休養林まで先ほど走ってきた道はほぼ、その第一号、森林鉄道小川線の軌道跡に沿ったものである。小川線が木曽森林鉄道の活躍の幕開けであり、やがて木曽の谷をまさに網の目のように結んで、総延長は東京・大阪間の距離に匹敵する500kmほどにもなったという。
森林鉄道は文字どおり木材を運ぶための鉄道だが、山奥まで届いた軌道は住民の交通手段でもあった。地域住民には証明書が発行され、作業員が乗る車両の空いた席に住民が乗れるようになった。しかしそれはあくまでも荷物扱いであり、料金を取らないかわりに事故の賠償もなかった。

寝覚の床(ねざめのとこ)へ

上松市街に戻ったら、市街の南にある寝覚の床を訪ねてみよう。国道19号沿いにある「ねざめ亭」からは寝覚の床を一望でき、食事やお土産の購入ができるほか、観光パンフレットも設置されている。
木曽街道(中山道)随一の景勝とされる寝覚の床には、竜宮城から帰ってから日本諸国を遍歴したのちここに来て暮らした浦島太郎が玉手箱を開けた場所という伝承もあり、下り口になっている臨川寺の宝物館には、浦島太郎がここで使っていたという釣り竿も展示されている。
国道19号の臨川寺の入口反対側に、「日本で二番目に古い」と言われている蕎麦屋・越前屋がある。その右手の緩い坂を100mほど上ったところを旧中山道が通っており、角に“立場茶屋”(宿と宿の間にあった茶店)だった「たせや」と、創業時から残る越前屋の建物がある。街道を行く参勤交代の大名、小名、また多くの庶民らは、ここから参道を通って寝覚の床の美しい景色を眺め、さらに続く旅への鋭気を養ったのであろう。

木曽の桟(かけはし)

寝覚の床を見たら、この町に残るもうひとつの名勝「木曽の桟」に足をのばしてみよう。
中山道には鳥居峠や御坂峠など多くの難所があったが、そのなかに“三大難所”といわれるものがあった。軽井沢宿と坂本宿の間の「碓氷峠(うすいとうげ)、岐阜県美濃加茂市の「太田の渡し」と、この「木曽の桟」である。木曽川の切り立った断崖に丸太と板を組んで藤のつるで結わえてつくった数百メートルにわたる桟道で、危ういものの代名詞として歌枕にも読まれている。
現在、桟があった場所には国道が通り、後に尾張藩によって改修が行われたときに築かれた石積みだけが残っている。

モデルコース

1.蕎麦 越前屋(上松町)
車30分
2.御嶽神社里宮
車5分
3.木曽御嶽山霊神碑群
車10分
4.清滝
車5分
5.新滝
車15分
6.百草元祖の碑
車30分
7.赤沢自然休養林 木曽森林鉄道
車30分
8.寝覚の床
車10分
9.木曽の桟(かけはし)